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「またまた、家族に気づく」

「またまた、家族に気づく」

今日はあらためて「家族に気づく」ってんなんだろう?

の話をしてみようと思います。

「家族に気づく」とは、家族は人生の土壌なんだと気づくこと——ではないでしょうか。

まだまだ話が難しいですね。

まずは「人生の土壌」という言葉の意味を、もっとかみくだいていきましょう。

〜人参Aくんの物語〜

人参Aくんはいつも自信満々。

「オレは大きくて美味しい、立派な人参だぜ!」と思っていました。

ある日、台風が来ました。

人参Aくんの隣で育っていた幼馴染の人参Bくんは、激しい雨風で土壌から抜けかけてしまいます。

人参Bくんは日に日に元気がなくなり、それ以上大きく育つことはありませんでした。

そんな人参Bくんを見て、人参Aくんは涙します。

涙がこぼれた足元の大地に目をやると、そこには栄養たっぷりの豊かな土壌が広がっていました。

そして気がつくのです。

ああ、そうか。

自分一人で大きくなっていたように思っていたけれど

自分はこんなに支えられていたのか。

栄養をもらっていただんだ。

愛されていたんだ。

だから、今の自分があるんだ、と。

「人生の土壌」とは、人参Aくんにとっての「大地」、わたしたち人間のにとっては「家族」にあたるのではないでしょうか。

土壌が豊かであればあるほど、大きく元気に育つのは、人参も人間も同じですよね。

次に、「気づく」について、考えてみましょう。

いつもテレビを見ながらご飯を食べていた人が、テレビを消してご飯を味わったとします。

普段ならテレビに夢中な意識も、自然と「食べ物」や「味」に注意が向きますよね。

こんなにお米って甘かったっけ。

よく噛むと、美味しいな。

今口の中で咀嚼している食べ物が、自分の身体を作っているんだな。

それに気づくと食事の時間を味わおう、食べるという行為を大切にしようとなるはずです。

自分の身体をつくるものですから、何を食べるかだって気をつけ始めるかもしれません。

この話のポイントは「ただ気づいただけで、人は良い方向に向かおうとする」ということ。

私たちは子供の時から、「食事を粗末にしてはいけないよ」「農家さんが頑張って作ったお米を残しては申し訳ないよ」なんて言われて育ちますが、どれほど意識してきたでしょうか。

長年人から言われてもピンと来なかった話も、自分で「ただ気づいた」とたんに、自然と「食事を大切にしたい」という気持ちが芽生えて来るのだから不思議です。

人からいくら良い話を聞いても、それは知識としては知っているだけ。

知識だけでは、人を動かす原動力にはならないということでしょうね。

「自分自身でふにおちる経験=気づく」とも言えるかもしれません。

以上の話を踏まえて、もう一度「家族に気づく」に話を戻してみます。

当たり前すぎて普段は意識していないけれど、いつも隣にいてくれる家族の存在に気づく。

家族のおかげで強くなれている自分、安心感をもらっている自分にも気づく。

そうなると、家族を改めて、愛おしく思い、大切にしようとする。

これが、「家族に気づく」ということではないでしょうか。

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